中学校で美術の非常勤講師をしています
数年前まで同じ中学校で働いていた元同僚で、かつての教え子でもあるAさんが
生後3ヶ月の赤ちゃんを抱いてわざわざ学校に元気な様子を見せにきてくれました
何も知らない私は、授業が始まる前の美術室で作業をしていました
廊下を歩く足音が聞こえガラガラと扉が開きました
す、すると
Aさんが赤ちゃんを抱っこして美術室に入ってきたではありませんか・・・!
ええええええええーーーーー!!!
えらいこっちゃ!
いつかAさんと会って赤ちゃんを拝ませてもらいたいと常々思っていたわたしは
Aさんのサプライズプレゼントに狂喜乱舞して大喜び😂😂😂
思いがけない二人のお客様の訪問に
「今まで生きていてほんとうに良かった・・・」
と心の底から思えるくらい嬉しくて泣いてしまいました
歳をとるほどに、若者や子ども、赤ちゃんの存在がありがたくてありがたくて・・・
これは歳をとったものにしかわからない感覚であり感情なんだと思います
抱っこさせてもらって 匂いをかがせてもらって
赤ちゃんのすべての感触を味わせていただき至福のひとときを過ごした私でしたが
残念なことに2時間目の授業が始まる時間が迫って来ました
Aさんに赤ちゃんをお返しして
お二人は職員室に戻るのかと思いきや
「生徒にも見せますね」
とAさん
赤ちゃんをもみくちゃにされるんではないかと
少しだけ心配しましたが全然大丈夫でした
美術室に入ってくる生徒のリアクションはとても興味深いものでした
わーーーーーーって言いながら近づいてきてすぐに赤ちゃんを触る生徒
びっくりして目を丸くして固まる生徒
驚いたまま遠回りして自分の席についてこっちをじっと見ている生徒
一旦離れたけどまた少しずつ近づいてきて他の生徒の隙間から赤ちゃんを見ている生徒
その中でも一番印象深かったのが遠くでふてくされたようにして
顔を伏せた生徒
彼女にしかわからない感情が出たり入ったりして
暗い目のまま一点を見つめていました
その生徒は普段から授業で、比較的簡単だと思われるモチーフを選んだにも拘らず
「私にはできませんのでモチーフを変えてもいいですか?」
といってくるような生徒です
やってもいないうちから
「私には無理!絶対に無理!」と、
ことあるごとに自分の能力を全否定ばかりしている残念な傾向があります
私から見れば彼女は形を捉えることが十分にできる生徒と認識していますので
自分に否定的になるのを止めてほしくて仕方ないのですが、なかなかわたしの話を聞いてはくれません
中学2年生の彼女のなかの歯車が噛み合わくなっている時期だとは思うんですが
わたしから見たら彼女の存在自体が「希望そのもの」なわけです
そんなに悲しい表情をする必要なんてこれっぽっちもないのに
あなたはそのままで十分素晴らしくて
美しくて
年老いたわたしのような人間から見たら
Aさんの赤ちゃんと大差ないくらい祝福されている美しい存在なわけです
そこではっとしました!
昔、わたしを可愛がってくれた
わたしの誕生を心の底から喜んでくれた
両親
じいちゃん ばあちゃん
ひいじいちゃん ひいばあちゃん
この方々から見たら
私の存在が今目の前にいるAさんの赤ちゃんとおんなじで
神様みたいに尊い存在だったのではないか
いや
過去形ではなく
年老いた今のわたしでも
天国にいるこの方々から見たらありがたい存在
「希望そのもの」なのではないか
そう気づいたとき
私の中で色んなものが溶けていくのを感じました
わたしが今までしてきたことに対する後悔や自責の念
それを持ち続けることがご先祖様をどれだけがっかりさせてきたのか
ずーっと浮かない表情をしている中2の彼女と今のわたしはおんなじことをしているのだと
Aさんと赤ちゃん そして彼女が
気づかせてくれたのでした
この世のすべての存在がこの目の前の赤ちゃんと同じくらい希望そのものであり
命が燃え尽きる瞬間まで祝福され続けているということを知った昨日11月28日の出来事でした
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